人は誰しも本を一冊かけるほどの人生を送っている

インプットとアウトプットの記録

天使とフルート

彼女が音楽を続けていて

教室を開いているのを知ったのは

今から8年前。

引っ越しを済ませたばかりのこの家のポストに

生徒募集の広告が入っていて

そこに載ってる連絡先を携帯に登録したのだ。

 

合奏の席で彼女はいつもわたしの前に座っていて

常に視界の中にあり

彼女の美しいフルートはわたしの心に小さな憧れを抱かせた。

彼女の愛らしい姿、容姿。

澄み切った心。

一言で言えば天使。

今思えば、彼女のすべてがわたしの憧れでもあった。

彼女、A香ちゃんとは小学校の入学式で出会い

中学の部活で共に過ごした仲間だったが

A香ちゃんが他人の悪口を言ったり

意地悪な態度を取ったりする場面を

その9年の間でわたしは一度も見たことがない。

 

小学2年生のとき

A香ちゃんのお誕生日会に招待されて彼女の家にお邪魔したとき

彼女のお母様に会ったのはあの一度きりだったが

ちゃぶ台に並べられたご馳走や

さっぱりときれいに片付けられた居間なんかを思うと

とても家庭的なお母様なのだろうという印象と

お誕生日会終盤でA香ちゃんの弟くんが

デザートのフルーツポンチが配膳されたちゃぶ台ごとひっくり返すという大事件が起きた際

弟くんを玄関から放りだして締め出すといったアクロバティックな一面も見た。

お母様は完全な西洋人で、おそらく日本語はほとんど話せなかったのだと思う。

A香ちゃんとは母国語で会話していたし

みんなで散らばったフルーツポンチを拾っているときも

一言二言すら会話した記憶がない。

お姉ちゃんが主役で面白くない想いを爆発させた弟、

娘のために心を込めて用意したご馳走と誕生日会を台無しにされたお母様、

静かに怒り狂うお母様に異国の言葉で話しかける、悲しみと不安の入り混じった表情のA香ちゃん、

そして、西洋の顔立ちをしたこの一家にはどこかミスマッチの日本家屋。

わたしの娘は、あの頃のわたしたちと同じ年齢になった。

わたしは子育てのさなか

友人たちの母親をお手本にさせてもらっていることに気付く瞬間があるが

A香ちゃんのお母様もその一人だ。

挨拶すらする場面がなかったほど、子どもたちの前に極力出てこないようにしていたお母様。

それは見た目が完全に外国人なA香ちゃんにこれ以上異国の印象を植え付けないようにしたお母様の配慮としか思えなかった。

ベタベタするだけが愛じゃない、

母の愛にもいろんな形があるのだと

あの日わたしは知ったのだ。

 

A香ちゃんの連絡先を登録したからといって

こちらから連絡することはなく

日々フルートへの憧れだけが募っていくばかり。

この家で暮らし始めてから半年後に生まれた娘は小学生になった。

娘が彗星の如くこの人生に現れてからというもの

わたしの中で癒やしが加速度的に進んでいったタイミングで

またもや彼女のフルート教室の募集広告がポストに投函された。

数年前までは身動きがとれないほどの足かせに感じていた

「過去の自分を知る人物との対面」に対して

勇気を出して飛び込める、まさに完璧なタイミング。

2022年12月、実に20年振りの再会を果たし

わたしの人生には音楽と友人が戻ってきた。

 

彼女の奏でる美しい音色、

サッとピアノと合わせられる熟練された技術、

わたしも楽器を続けていればよかったな…なんて

羨望で胸がちくんとすることもある。

けれど

楽器よりも心の平穏を選んでしまったあの頃の自分も受け入れられるようになった今が

最短最速のスタートライン。

フルートを始めて半年が過ぎた。

発表会に向けて家事育児の合間に猛練習。

わたしの人生には音楽が必要だ。

A香ちゃん、音楽を続けてくれていてありがとう。

あなたのおかげで楽器のある人生を取り戻せた。

この先もずっとずっと

よろしくお願いします。